奈良時代、聖武天皇の詔によって各地に建てられたという
国分寺
岐阜県大垣市にも国分寺が建てられたそうで、美濃国分寺と呼ばれたお寺の跡地が歴史公園として残っています。
ちなみに、『美濃国分寺』は歴史公園の奥に現在もあります。こちらのお寺は西美濃三十三霊場・33番目の霊場となっています。

国分寺を訪れたこの日も御朱印巡りの人が何人か訪れていて、ブームはまだまだ続いてるんだなと実感しました。
歴史『公園』と言っても、美濃国分寺の跡地なんですよね。
正面から入ると左手に看板が建てられていて、美濃国分寺の全容が図で示されていました。

南門から入ると、東側に塔の跡地があり、塔の奥に金堂の跡地が。
金堂とは本尊が安置された建物のことで、東西約36m・南北約23mという大きな建物になります。

金堂を越えると、その奥に鐘楼の跡や経蔵の跡が残っています。
経蔵は、文字通り経典を収蔵するための建物です。

写真を見てもらうと何となく想像がつくと思うのですが、だだっ広い空間(美濃国分寺跡地)に発掘の痕跡が残っているだけの公園です。
ですが、園内の緑が鮮やかなので何となく癒されるような気分になります。(カラスがうるさいけど…)
全体を上から見た時の写真が↓↓↓

国分寺跡歴史公園を取り囲んでいる道路は幅も広い上に交通量も国分寺に訪れる人しかいないので、ランニングしている人もちらほら見かけました。
道幅が本当に広いのですが、その理由はよくわかりません。
勝手な憶測ですが、歴史公園には駐車場がないので、道幅を広くすることで端に寄せて駐車してもOKという大垣市の優しさではないかと…
大垣市と垂井町のちょうど境目辺りにある美濃国分寺跡地。この辺りは中山道赤坂宿や垂井宿も近いですし、歴史巡りしてみるのもいいかもしれませんね。

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