現在休止中のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』
物語の後半に向かって描かれると思われるのが、主人公・明智光秀と羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)との出世争いですね。
後に天下人となる秀吉に仕えていた武将の1人が岐阜県出身の
竹中半兵衛

武将というよりは『軍師』というイメージが強いと思いますが、軍師という言葉は戦国時代にはなかったという話も聞きますので、ここでは武将ということにしたいと思います。
竹中半兵衛=垂井町出身というイメージが強いですが(実際に陣屋跡は垂井町にある)、生まれは今の揖斐郡大野町のようです。
大野町には、竹中半兵衛生誕の地が残っていますよ。
秀吉に仕える前は美濃を治める斎藤氏に仕えていた半兵衛。
斎藤氏に仕えていた時の有名なエピソードが
稲葉山城乗っ取り事件
ですね。
主君である斎藤龍興が政務に関心が薄かったので、竹中半兵衛が主君への叱咤を目的に、僅か数人で稲葉山城を乗っ取ってしまったというもの。(奪った城は龍興に返します)
そんな竹中氏が暮らしていたのが岩手城と言われる所で、この場所が竹中氏陣屋跡として今も一部だけ残っているのです。

ちなみに、竹中氏『陣屋』と呼ばれているのは、江戸時代に竹中氏が旗本という身分になったため、『城』ではなく『陣屋』と言われるようになったようです。
現在、陣屋跡は岩手小学校に隣接しています。
竹中半兵衛は、秀吉の与力として生涯活躍します。
同じく羽柴秀吉に仕えた『黒田官兵衛』と並んでニ兵衛と称される有能な武将だったようです。
秀吉が中国攻め(毛利攻め)の総大将として戦っている最中に病死。36歳という若さで亡くなっています。
岐阜出身の有能な武将・竹中半兵衛に関わる場所へ足を運んでみてはいかがでしょうか?
陣屋跡は駐車場も広く、車を停めるスペースも豊富ですよ!

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