新入生のみなさん、学校が始まって最初の週末になりますね。
新しい学校はどうですか?お友達作れそうですか?
新入社員のみなさん、そろそろ新入社員研修も終わり、職場に配属される頃だと思います。
研修、お疲れ様でした。
ここから先は先輩社員によるOJTがスタートします。
覚えることがたくさんあったり、怒られて嫌な思いをすることもあると思いますが、一生懸命頑張りましょう。
但し、無理はしないようにしましょうね。
さて、美濃赤坂宿の旅編も3日目に入ります。
…と言っても赤坂宿観光編は昨日で終了。
今日からはおまけで寄ってほしいところの紹介になります。
よ〜く考えたら、このブログでご飯屋さん以外を数日間続けてるって初めての試みなんですよね〜
そろそろ『早く飲食店の紹介に戻って〜』と思っている人もいたりして(笑)
申し訳ありませんが、あと1日お付き合いくださいませm(._.)m
さて、昨日ご紹介させていただいた『明星輪寺』のある金生山を降りてから西へ向かって歩くこと10分弱くらいでしょうか。
赤坂町から昼飯町に入ってきます。
昼飯と書いて『ひるい』と読みます。元々は『ひるめし』と呼ばれていたそうですが、言葉が下品なので『ひるい』に変わったとかなんとか。。。
そんな昼飯町を歩いていると、昼飯大塚古墳なる看板が見えます。
看板の方向へ歩いて行くと…

デカイ!!
緑色の盛り上がってる部分は全て古墳になります。
昼飯大塚古墳は全長150mもある巨大は前方後円墳で、岐阜県で最も大きな前方後円墳なのだそうです。
東海地方の中でも3番目に大きいそうですよ。
宿場の近くにここまで大きな古墳があるとは。。。
この近くの道が昔の中山道だったわけですから、昔の旅人は古墳の大きさにきっと驚いたに違いないと思います。
敷地内に古墳の模型がありました。

模型自体も凄く大きいです。
模型だけ見ても、昼飯大塚古墳がいかに大きな古墳であるかがわかります。
模型の写真奥に、土で作った土管のようなものがたくさん並べてありますが、恐らくは埴輪み見立てているのだと思います。
ゴミが捨ててある土管もあって、オイオイって思いました…
階段が作られていて、古墳の上に登っていけるようになっています。
お墓のに階段が作られているのもなんだかおかしな話なんですけど、昔の人(これだけ大きな古墳ということは偉い人だと思う)のお墓の上に立つことができるって中々経験がないような…
昔の偉い人(誰か知らんけど)、ちょっと失礼しますよ〜
…というわけで、古墳の上に登ってみます。

伊吹山がはっきり見えますね〜
養老山脈も見えますし、ちょっと高いところに登るだけでここまで遠くが見渡せるとは思いませんでした。
昔は今よりも建物が低かったでしょうから、この場所に古墳が建てられるということは、この付近のどこにいても古墳は見えていたのかもしれませんね。
残念ながら、この古墳に眠っているのがどのような豪族なのかははっきりわかっていないようですが、4世紀頃に建てられたそうです。
この辺りは古墳がたくさんあって『不破古墳群』と言われるそうですが、関ヶ原町には不破関もありますし、4世紀頃のヤマト政権と不破地域を関連付ける上で重要な手掛かりになる古墳なのだそうです。
今後、調査が進んで色んなことがわかってくると良いですね。
昼飯大塚古墳は駐車場があります。
古墳の南側に砂利の駐車場がありますが、赤坂宿にある『岐阜大学セミナーハウス』と共同の駐車場になっていますので16時30分で閉鎖になりますのでご注意ください。
ここまで大きな古墳を見る機会はあまりないと思いますので、赤坂宿に遊びに行った際は是非とも寄ってみてはいかがでしょうか?
美濃赤坂駅から観光をスタートして、赤坂宿→明星輪寺→昼飯大塚古墳と回ると時間にして2時間から2時間30分くらいでした。
10時頃からスタートすると、ちょうどお昼時になります。
美濃赤坂宿シリーズ、最終回は赤坂宿でのお食事編です。
明日もよろしくお願いしますm(._.)m
※史跡情報※
住所: 大垣市昼飯町
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